『エターナル・サンシャイン』とは、記憶と恋愛模様を題材としたSF恋愛映画。監督にミシェル・ゴンドリー、脚本にチャーリー・カフマンといういずれも高名な作り手が名を連ねている。主演はジム・キャリーとケイト・ウィンスレットが務め、キルスティン・ダンストらが脇を固める。抜群の脚本と演出、よどみないストーリー展開で、観客をひたすら惹きこんでいく魅力あふれる作品。
【こんな人におすすめ】『エターナル・サンシャイン』の魅力とは
『エターナル・サンシャイン』は2004年に公開されたSF恋愛映画で、巧みな脚本・ストーリー展開が高く評価されアカデミー脚本賞を受賞しており、フツーのロマコメとは似て非なる恋愛映画の名作の一つだ。
とある企業がユーザーの指定した一部の記憶を消去するサービス「記憶除去手術」のある世界を舞台に、主人公男女カップルの恋愛を情感たっぷりに、時にユーモラスとシリアスを織り交ぜていくストーリーが最大の魅力だ。
「記憶除去手術」というSFみのある設定を活かしつつ、恋愛模様をしっかりと描き切る本作。ほかによくあるSF・ファンタジーと恋愛を中途半端に混ぜ込んでいる多くのエンタメ映画よりも、よっぽど記憶に残り続ける力を持っているように感じる。
『エターナルサンシャイン』はドストレートに恋愛を描きつつ、SF設定を活かした個性的な演出なども楽しめる作品といるため、ストーリー・脚本・演出(作品の世界観)などをすべて楽しみたい欲張りな人におすすめといえる。
映画の『エターナル・サンシャイン』のあらすじ
ここで『エターナル・サンシャイン』のあらすじ・登場人物を軽く紹介していく。ネタバレはしないので未鑑賞の人もご安心を。
『エターナル・サンシャイン』の登場人物
『エターナル・サンシャイン』は、SF的な設定が絡んでいるとはいえ、擦れた見方をせずにまっすぐ楽しめばそこまで難しくない映画だ。登場人物の数もあまり多くなく、ひとまず抑えておきたいメインキャラクターは以下の5名のみ。
ジョエル:どこにでもいる平々凡々な男。真面目だが、ユーモアや大胆さに欠ける。クレムと出会い、明るく積極的な彼女に惹かれていく。
クレム(クレメンタイン):快活で大胆不敵、直情的な行動派の女。ジョエルと出会い関係を深めていくが、彼とは凸凹な性格な故にとある行動に出る・・・。
ハワード博士:記憶除去手術サービスを提供。大きな組織ではなく、規模感としては開業医・町医者のようなものであり、数人の部下たちと営業中。
メアリー:博士のもとで働く受け付け係。同僚のスタンとは交際中だが・・・?
スタン:博士のもとで働く「記憶除去技師」で、メアリーとは交際中。
『エターナル・サンシャイン』の序盤の魅力を紹介
ごくフツーの男・ジョエルは駅ホームで、派手な青髪の女・クレムと出会う。クレムから積極的なアプローチ(?)をかけられ、「少しでも関心を示されると恋に落ちてしまう」と心でつぶやくジョエル。少し戸惑いながらも探り合う2人、自宅に歯ブラシを取りに一旦戻るクレムを見送るジョエルに、見知らぬ男が「大丈夫?ここで何を?」と話しかけてくる。
ジョエルが戸惑う中で映像は暗転、つぎに映ったのは何故か泣き崩れる彼だった。「なぜジョエルは泣いているのだろうか?見知らぬ男は何者なのか?」という疑問のままOPクレジットに入る。
ちょっぴり感想!
ここまでが『エターナル・サンシャイン』の導入部分。正反対の男女の交流を描いたフツーの恋愛映画かと思いきや、謎の男登場からOPまでのわずか十数秒で観客に「?」と思わせる展開になっている。この構成自体はそこまで珍しいものではなく、例えばクリストファー・ノーラン『メメント』などのような「観客に考えさせ、2・3回と鑑賞を重ねるごとに楽しくなる」類いのループ系作品かと思わせる。
しかし、この作品はそこまで“難解”な構成になっておらず、良くも悪くもエンタメとしてあっさりと楽しめる。小難しい設定と展開が好きな人には物足りないだろうが、個人的には「恋愛映画」として見始めた本作に対してソレを求めていないので、ミシェル・ゴンドリーたちの「ちょっと捻ってみたよ?」という感じがあるだけでも十分だった。
また、ケイト・ウィンスレット演じるヒロイン・クレムが語る「青の脅威」や、彼女の髪色についてのヒントも冒頭にて示されるので助かる。髪色やファッションをヒントに、ストーリーの温度やキャラクターたちの心象を掴んでいけばよいとスムーズにわかるのだ。
OP後、ジョエルの失意の理由は明らかになる。恋人・クレムは自分との喧嘩の末に、ジョエルとの記憶を消すために「記憶除去手術」を受け、さらには自分とは違う男と恋愛関係になっていたというのだ。ジョエルはクレムと同じく、相手の記憶を消すために博士の元に訪れ記憶除去手術を受けることに。
専用の機器を頭に装着し、永い眠りにつきながら「過去の記憶を消す旅」に出かけたジョエルだったが・・・?
ちょっぴり感想!
OP後から起承転結でいう「承」辺りまでのザックリとした流れ。「相手が自分の記憶を消して新たな恋をスタートしたのならば、自分だって消して新たなスタートを切ってやる!!」という安直さはともかく、ここから「過去の記憶を消す旅」で見せる数々のオモシロ演出が本作の魅力だ。
旅に出る前段階でも個性的な演出は垣間見える。例えば、クレムの記憶消去が明らかになり、戸惑うジョエルが本屋から出ていく中で建物の電気が奥から消えて、そのまま自宅のリビングに入るという演出など、こういうスマートなやり方が散りばめられている。
大きく裏切られる展開などは皆無な本作だが、徹頭徹尾オモシロな仕掛けはあるのでよほど擦れた人でなければきっと楽しめると思う。
『エターナル・サンシャイン』がもつSFと恋愛映画の魅力を伝える
ここからは『エターナル・サンシャイン』ならではの魅力を伝える。SFと恋愛映画どちらの魅力も兼ね備える本作の良さを少しでも紹介できたら幸いだ。
過去・現在・未来、そしてサブストーリーが絡み合う秀逸な脚本
SF設定の活用は恋愛映画において半ば反則技だが、それをきちんと有効に活用しているのは良い。複数の時間軸やストーリーが整理整頓されたうえでキレイに絡み合っていく展開という点において、恋愛映画で『エターナル・サンシャイン』の右に出る存在はいないと感じる。1950年代のヘプバーン・モンロー・グレースらのクラシカルなロマコメ、1990年代のメグ・ライアンやヒュー・グラントの全盛期ロマコメと同レベルで感情を揺さぶりながら、ちょっとした頭の良さも感じさせるなんとも欲張りな作品だ。
『過去の記憶を消す旅』の中の演出
本作の醍醐味はバラエティ豊かな演出にもある。主人公がヒロインを脳内から消去するために「過去の記憶を消す旅」へ出かけ、彼女にまつわる記憶が消えていく様子を”脳内にいる自分”が眺めているのだが、それ自体にSF的な要素を多分に含んでいるため、演出面が突飛なものになっている。例えば、幼少期の頃に遡れば主人公が小さくなっていたり、海辺の家が記憶消去に伴ってガラガラと崩れていったりなど、普通の恋愛映画ではあまり見られない演出が散見されるのだ。
コメディやシリアス、バイオレンス・・・変幻自在でファンタジックな映像の連続は映画として物凄く楽しい仕上がり。ミシェル・ゴンドリーは『恋愛睡眠のすすめ(英題:The Science of Sleep)』でもひと癖ある演出を仕込んでいたが、そこにも通じる面白さがこの本作にもふんだんに盛り込まれているといえるだろう。
『エターナル・サンシャイン』で考えるSF映画と恋愛映画に横たわる問題
ここで『エターナル・サンシャイン』を題材にして、SFと恋愛について少し考えてみた。お暇があったら読んでほしい。
『エターナル・サンシャイン』で考えたいこと
『エターナル・サンシャイン』が大きな魅力に溢れた作品であることに疑いの余地はない。だが、気になる点もある。真っ先に思い浮かぶのは「記憶除去手術」による負の側面。例えば記憶を除去すれば何かしらの社会的な問題が起こりうる。ビジネス・プライベート問わず任意の記憶を消せるのだから、例えば職場恋愛後に気まずくなった場合に消去、操作のミスで仕事の大事な部分も除去してしまったなんてことも起こるだろう。
そんな状況を社会はどう許しているのか。あの博士たちの営む”診療所・研究所”は、国から認可を得て営業しているのだろうか、記憶除去による社会的影響の責任はどこにあるのか。そんなところをメイン2人の恋愛模様とはべつに思わず考えてしまう。
一応、劇中では街の診療所や歯医者のような規模感であることや、メアリーの「決まりで月に3回の手術は難しい」といった旨のセリフから察するに手術による”副作用”のような存在があることは読み取れる。だが、この「記憶除去手術」と一般社会の接点は深く触れられず、フワッとしたアリものな存在として描かれる。ジョエルは博士たちを責めるのではなく、自分も同じ手術をするという博士たちにとって都合の良い方向性にかじを切る。また、ジョエルの友人たちの事実の受け止め方も、あの世界の倫理観・社会観みたいなもののフワッとさ加減に拍車をかけている。
このSF的な世界観構築の詰めの甘さは、本作の小さいけど大きな課題だと考えた。これがSF寄りな映画であれば、その社会的な影響に焦点を当てて、シリアステイストで物語を進めていくのだろう。そんな『エターナル・サンシャイン』も観てみたいと思った次第だ。
なぜSFと恋愛は食い合わせが悪いのか
本作『エターナル・サンシャイン』のSF周りの世界観はフワッとしていると考えたのだが、これは大きく言うと「SF映画」「恋愛映画」の間に横たわる食い合わせの悪さにも通じるところがある。
SFは作品全体の方向性や物語の推進力に大きな影響を及ぼす「設定」だけでなく、その設定を土台にした課題・問題(テーマ)、さらには細かなガジェットなどにこだわることが正義ともいえる。一方で恋愛映画は登場人物たちの人間関係や豊かな表現に重きを置いている。この両者の映画としての重点の違いがあるため、基本的に食い合わせは悪いと思うのだ。
SF・ファンタジーに恋愛は基本的にいらない?
例えばみんな大好きクロエちゃん主演の『フィフス・ウェイブ』のようなティーン向けSFファンタジー作品などは、ほぼすべてにおいてSF設定から端を発する課題を、自分たちの愛と友情で乗り越えようとする。あらゆる仕掛けはストーリー上で無用の長物、結果的にチープな仕上がりになる。
なんなら、あの傑作と名高いSF作品『ブレードランナー』でさえ、映像美的な部分以外の恋愛要素などはチープだと感じてしまった。
恋愛映画にSF要素を絡めるのもよろしくない
他方、恋愛映画からのSF的なアプローチも腑に落ちない部分がある。本作『エターナル・サンシャイン』は恋愛的なシリアス演出以外は、非常に都合が良く物事が運ぶ。なぜか「記憶除去手術」に異を唱える社会的な雰囲気や、メディアによる反発などもない。悪く言えばSF的な設定だけ借りて、お花畑の恋愛模様を映し出しているのみ。このほか、パッと思いついたのはリチャード・カーティスの『アバウトタイム』。この作品もSF設定のあるラブロマンスの秀作だが、他社を介在させず極力ミニマムな世界観に収斂させていたように思う。
以上のように、SFと恋愛・ロマンスは食い合わせが悪い。これを解消するには、そもそも観客は「SF恋愛映画とはそういうもんだ」なんて開きなおり、SFと恋愛どっちかの要素を半ば捨てて楽しむ必要があるのかもしれない。というか自分はそうするほかない(笑)
映画『エターナル・サンシャイン』はキュンキュンくる頭の良いSF恋愛作品
『エターナル・サンシャイン』はミシェル・ゴンドリーの代表作の一つであり、彼ならではの楽しさを堪能できる作品。ややSF的な部分で都合の良いところがあるものの、全体としてキレイにまとまっている良作といえるだろう。キュンキュンしたい人はぜひ。